カンフー映画が好きだった
子供の頃からカンフー映画が大好きで、ブルースリーとかジャッキーチェンとかよく見ていたんです。それで中国の文化もそうですが、特に中国語に大変興味を持ち、実家が横浜なので中華街に行って生の中国語を聞いたり、中華料理店の厨房のかけ声を録音したり(広東語だったと思うのですが)、中国語の教本を見たりしていました。大学は工学部で理系一本だったのですが、随意選択外国語として中国語を履修しました。その時は仕事とは関係なく趣味として勉強していました。
為せば成る
大学を卒業後、メーカーで21年間働きました。20年間働いたところで、20年の節目だし、今後どうやって生きて行こうかと考えた時に、東日本大震災もあり、人はいつ死ぬか分からない、生きているうちにやりたいことをやりたいと思うようになりました。何がやりたいのか色々考え、そういえば昔から中国語が好きだったなあと思い、翻訳家を目指そうと決めました。当時は中国語検定3級レベルだったので、2級は取っておかないと、と思い会社を辞めるまでに中検2級を取りました。そのレベルで翻訳家を目指すのは、茨の道だと思いますが、「為せば成る、為さねば成らぬ」で好きだったら何とかなると思って進みました。最悪食いっぱぐれてもバイトしながら生きて行けるかなあと。
為せば成る
仕事をしながら本を読んだり、中検の問題集で勉強したり、短期の翻訳講習会に出てみたり、ちょ
こちょこ勉強はしていたのですが、系統だって勉強したことがなかったので、仕事にするにはちゃんと学校に入って勉強した方がいいと思い、ネットで色々探し、その中から毎日学べる日中学院に辿り着きました。何より名前に日本と中国がついているから、しっかりやれそうかなと思いました。勉強は1年と決めていたので、本科研究科を受験しましたが、落ちまして、学院から基礎からやったほうがいいと本科2年の編入を勧められました。自分の中国語力の無さを痛感しましたが、少し遠回りになるけど腰を据えてしっかりやった方がいいなと2年生から入りました。入学後、同学は若い人が多いので、うまくやっていけるかと心配でしたが、そんなことも言っていられないので、仕事で収入が得られる実力をつけようと、必死で頑張りました。
リスニングが恐怖
リスニングが苦手で、中国人の先生の中国語での授業はほとんど聞き取れず恐怖でした(笑)。でも、これこそ自分のやりたかったことだと刺激されて奮い立ちました。授業は2~3ヶ月で慣れたのですが、廊下で中国人の先生とすれ違う時、目が合うと中国語で話しかけられるので、それが怖くてわざと携帯を取り出し、電話に出るふりをして逃げていました(笑)。それでも日中学院の先生は分からなかったら日本語で言ってくれるので何とかなったのですが、短期留学に行った時は、オール中国語でまったく何を言われているのか分かりませんでした。授業の合間に言われる“中西你能理解吗?”だけは聞き取れて、意味も分からず“理解理解”と答えると、じゃここはどうだ?とさらに質問され、逃がしてくれないのです。その先は何を言われているか分からないので、ニコニコ笑って誤魔化しました(笑)。宿題も中国語で言われるので、何が出されているか分からず、後で同学に確認していました。その後、少しずつ同じような表現を言っているなと分かって繋がってきた感じです。この短期留学で自分のリスニング力がないことを思い知りました。帰国後はリスニングを重点的に鍛えました。ラウンジでテレビを見たり、図書室でDVDを借りたり、また留学生との交流では学校で習わない表現を教えてもらいました。今でもリスニングは苦手ですけど。
プールから大海原へ
本科研究科に進んでからは、授業中に日本語を聞くことは皆無でした。授業の内容も、基礎につ
いてではなく、文化や時代背景などもっと深いところを学びました。本科2年修了時に、これでプロに
なっても大丈夫かなあと思ったのですが、本研へ入ってみると、それまでプールの中で泳げていたのが、いきなり大海原に放り出された感じでした。同学は優秀な人が多く、テストでも同学を意識して刺激になりました。2年間皆勤で、倉石賞もいただきました。ここにいる間に実力をつけないと無職になる、と死活問題だったので、楽しみながらも必死に勉強しました。一番の思い出は文化祭ですね。同学と熱く議論したり、時には気まずくなったりと色々ありましたけど、今では良い思い出です。40歳を過ぎているのに舞台に立ってやりたいことをやらせてもらえるなんて夢にも思いませんでした。あと、飛行機が苦手で海外に行くのは嫌だったのですが、その自分が短期留学で中国に行けたのも、生の中国語を聞いてみたいと強く思ったからです。万里の長城に登った時に、「自分は今、中国の万里の長城に立っているんだ」と思うと、とても不思議な気持ちになりました。今でも強烈に覚えています。在学中にはNHKの「中国語によるラジオパーソナリティーコンテスト」に参加しました。そのときのパートナーの方に、卒業後翻訳家になろうと思っていると話したら、仕事があるので手伝ってくれないかと言われ、それが初めての翻訳での収入でした。その仕事で手ごたえをつかみました。
Amazonで訳書を発見
卒業後、先生の紹介や自分でも色々仕事を探しましたが、そんなに甘くはなく、無職のまま3ヶ月ぐ
らいは家に籠って、学力が落ちないよう自分で時間割を決めて勉強しました。夏頃から特許翻訳のネイティブチェックの仕事を始めました。歩合制なので、月~金まで自分で時間を決めて働けました。この他にご縁があって日本僑報社さんの段さんとお会いする機会があり、翻訳家を目指していると話したら、翻訳してみないかと言われ、2冊翻訳させて頂きました。経済関係だったので理工系の自分には難しく、専門用語もあり、独学で勉強して四苦八苦しながら、納期までに仕上げ、誤字脱字、表現の修正等を経て出版できました。Amazonで自分の名前を検索して、自分の翻訳した本を発見した時は、「夢が叶った」と実感しました。ただ、出版翻訳の実績を残せたものの、継続的な収入にはつながりませんでした。ちょうどそのころ、特許翻訳チェックの仕事が途切れてしまったので、次は安定した収入を得られるようにと実務翻訳の仕事を探しました。また振り出しに戻りました。
特許翻訳に従事
50社ぐらいの翻訳会社にアプローチをかけて、その内15社ぐらいのトライアルを受け、13社受かり
翻訳者として登録していただきました。今は2社ぐらいから特許翻訳の仕事をいただいております。
ただ、1つの仕事が終わってから次の仕事が来るというわけではなく、暇な時は依頼が全然来ない、
仕事がある時は重ねて来て、受けられないなど不安定です。また中国系メディアの会社から、
毎日送られてくる中国の新聞記事を数時間以内に日本語に翻訳して返すという仕事を受けたこともありました。これは収入という点では安定しているのですが、毎日朝と夕方決まった時間に短時間で訳さないといけないので、精神的にきつく、プロとして鍛えられました。中国の時事問題にも関われたし、翻訳の実力もつけられたのですが、特許翻訳の方面に興味があったので、そちらに進むことに
決めました。その後は翻訳会社に採用してもらい、現在はそこで特許関連の翻訳、校正をやっています。コロナ前までは毎日出社していたのですが、コロナ後は在宅で仕事をしています。
正しい日本語を身につける
卒業後7年経ちましたが、その間翻訳をする度に自分で単語帳を作り、今でも単語を増やしてい
ます。これは、自分の宝ですね。あとは、特許翻訳に特化しているので、技術関連の本、例えば半
導体とか機械系、電子系の書籍を読んで、専門知識を増やしました。メーカーで働いていた時に自
分でも特許を出したことがあったので、その業界での用語を知っていて役に立ちました。また、日本語ネイティブでない人の翻訳したものを校正していて痛感したのが、正しい日本語の大切さです。特許は契約書みたいなものなので、日本語の「てにをは」を間違えたら権利範囲が変わってしまいます。特許翻訳はこのようにセンシブルな仕事なので、日本語をちゃんと勉強しようと思いました。翻訳者のための日本語講習会に行ったり、助詞、助動詞の辞書を読んだり、日本語のブラッシュアップをしました。と同時に中国語の文法理解も大切です。なぜここで“就“や“则”を使っているのか、日本語に訳出しなくても、その意味を分かっているのといないのとではニュアンスが異なりま
す。そのため、一語一句をおろそかにせず、しっかり理解できるようにしています。
翻訳家を目指す人へ
先ほども申し上げたのですが、日本語ネイティブの強みは「正しい日本語が使える」なので、日本語を鍛えることが大事です。この業界でも機械翻訳が入ってきているのですが、やはり日本語が変なんですね。しかし、たとえ日本語が多少変でも大体意味が分かればいいという依頼もあるので、そういう場合は、単価が安い機械翻訳や日本語ネイティブでない翻訳者に仕事を取られていくと思います。しかし、日本語ネイティブが「正しい日本語」を使えれば、契約書や特許など正確な日本語が要求される仕事では生き残れると思います。また中国語も何となくの理解ではなく、一語一句人に説明できるように理解しておくことも必要です。実力をつけておけば、チャンスが来た時にそれを掴む
ことができるので、いつ来ても逃さないように実力をつけておくことをお伝えしたいです。あとは、学生の時に資格を取ったり大会に出たり、本を訳したり、自分を売る材料を作っておいた方がいいです。仕事が取れるか取れないかはその時の運でもあるので、可能性があるところには片っ端から連
絡して自分をアピールすることです。
特許翻訳の分野を広げたい
今後は、まずは収入を得られる仕事として特許翻訳の道を究めたいと思っています。今は機械系や
電気系が主なのですが、分野を広げればそれだけ仕事も取れるので、電気でも半導体やAIなど先端技術の専門用語や知識を増やして分野を広げていこうと思っています。また、将来的には元々文学作品がやりたかったので、趣味でもいいので文学作品も翻訳できたらなと思います。あとは「为了日中友好起桥梁作用!」ということで、日中友好に繋がることに貢献できれば幸いです。
中西真さんプロフィール
メーカーで21年間勤務後、2013年本科2年編入
2014年本科研究科進学 本科研究科41期卒業
2015年~フリーで翻訳活動開始。主に特許翻訳のネイティブチェックその他。
2019年~特許翻訳会社にて翻訳・校正に従事
訳書に『日本人には決して書けない中国発展のメカニズム(日本僑報社出版、程天権著)』『中国発展の道と中国共産党(日本僑報社出版、胡鞍鋼・王紹光・周建明・韓毓海著)』。