翻訳発表
この小説は、毎週土曜日午前の「小説を楽しもう!」クラス(2014年4月~6月)で講読し、授業で翻訳したものを講師が訳文を整えまとめたものです。この度、著者の龍一さんから特別に翻訳許諾を頂戴し、学院のホームページに発表できることになりました。一九二〇年代の天津租界から始まり、激動の時代を背景に愛を貫こうとした美しいモダンガールの生涯を活劇風に描いたこの小説を、たっぷりとお楽しみ下さい。
(原文は文芸誌《人民文学》2013年11期所収)
【作者紹介】
龍一:1961年、天津生まれの人気作家。中国作家協会会員。長年にわたり、中国古代生活史や近代都市史、中国革命史を研究し、その博識をベースに抗日戦争の時代を背景にしたスパイものなど、スリルと迫力のエンターテイメント小説を数多く発表し、映像化された作品も多い。ご本人によれば、日本の小説が好きで、多くの示唆を得たという。
*担当講師:樋口裕子
*受 講 者:大谷恵吾、小林利江、紺野史子、三枝博、中村友彦、山下章の各同学
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モダンガール・エレジー(原題:新女性的挽歌) 作者:龍 一
【第2章】
玉婕(ユイジエ)は着る物が高級かどうかはこれまで気にしたことはなく、自分が快適でさえあればいいと思うタイプだった。裕福でもない彼女の両親は、娘を大学に入れて卒業させるだけでもう精一杯で、衣服に気を配るようなお金まではやれなかった。ところが、君石(ジュンシー)は身につける物に極端なこだわりを持ち、商品の質はもちろん、ブランドも、品を扱う店と店員もすべてが高級でなければ気がすまなかった。だが、たとえあらゆる面で高級であっても、君石が満足するようなことはたまにしかなかったが、彼のような顧客に対しては、どんなにうるさいことを言われようと嫌がる店などなかった。
こんな買い物、くたびれ果てるわ。玉婕はいつも胸のうちで恨みがましく思っていたが、それこそ父母の恩を知らぬ子どものようなものだ。
今日着てゆくのに彼女が選んだのは、あまり派手でないインドシルクのワンピースで、淡い緑色に山吹色のヒナギクの花模様がちらほらとプリントされていた。ドレッシングルームには君石が服に合わせて選んでくれた緑色のハイヒールがあるのだが、彼女はわざと黄色の靴にした。だが、階段を下りてから、昼に君石と会うことを思いだしたので、また二階に上がって緑色の靴に履きかえることにした。階段を二往復したので、彼女の額には汗がにじんだ。
もしあの大事な用がなかったなら、こんな暑い日は家にいたほうがいいんだけど、と彼女はひとりごとを言った。
小丁(ショオディン)は、玉婕のその服は天界にもめったになく、この世のどこにもない、玉婕だけに似合うものだと褒めちぎった。
玉婕は心の中で言った。あなたは知らないのよ。このワンピースのことで、君石はまだ気分が晴れないでいるのを。彼はこの服の値段が安すぎるので洋装店で支払いをするときに恥をかいたと言って、いきなりもう一点、季節はずれの赤ギツネのマントを彼女に買ったのだ。君石は日頃はとても穏やかでいい性格なのに、ただ金のことになるとガンとして譲らないのだった。
それから何を準備すればいいのかしら、と彼女は自分に聞いた。アクセサリーは箱からあふれんばかりに沢山あるのだが、彼女は淡い色の翡翠の指輪を小指にはめただけだ。金属アレルギーなので腕時計もつけていない。
「決心はついたの?本当に程さんと別れるつもり?」小丁はしょっちゅう自分の舌をコントロールできなくなるのだが、大事な話は使用人を遠ざける必要があることは知っていた。
「分からないわ。」彼女は周嫂(ショウサオ)がまだテーブルを片づけていると思ったので、庭の中ほどまで進んで言った。「どうするべきなのか、私にも分からない。半年悩んだけど、やっぱりいい方法はないの。」
「もし他の女性なら、こんな上等な暮らしができて、あんなに素晴らしい男と出会えたなんて、涙ちょちょ切れ大喜びなのに、あなたったら贅沢すぎる。そのうち心底後悔して泣いたって私は知らないからね。」懸命に声を抑えている小丁は、まるで見習いスパイのようだ。
庭師の老安はとっくに車庫の扉を開け、頭を垂れてかしこまり、その場に待機している。玉婕の青いアルファロメオはワックスをかけたばかりで、宝石のようにキラキラと輝いていた。
「奥様、お気をつけて。バラは剪定しますか?」老安は彼女のずっしりと重そうなバッグにちらりと目をやった。
バラ園は玉婕の一番の気晴らしだった。今は丈の高いバラが盛りを過ぎたばかりで、丈の低いバラが豊かなつぼみをつけてきていた。天候が順調なら来週の水曜日には花が開くにちがいない。
「丈の高いほうの枝を少し落としておいて。」まもなく捨て去られようとする愛しきものを眺めつつ、彼女は思わず心の痛みを感じるのだった。
「奥様がご自分でなさいませんか?」老安は今日はやけに口数が多い。
「じゃ、二、三日そのままにして、またそのときに。」彼女は早足で車に近づいた。
「奥様、いつでも奥様のおそばにお仕えしておりますので、何事であれ、奥様のお心のままにいたします。」今日の老安は「奥様」という呼びかけが多すぎる。
玉婕は普段、なるべく車を運転しないことにしている。君石が彼女のために買ったこの車はあまりにも目立ちすぎるのだ。ここ天津では九区域あった租界が六区域しか残っておらず、また十数年も内戦が続いているのに、生活には変化がなく、依然として富める者は数限りなく存在し、競い合うように金銭を浪費しているのだった。とは言え、天津租界には、こんな車は二台しかなく、もう一台の柚色のアルファロメオを持っているのは、北京・天津の両地で名高い奔放な「じゃじゃ馬」だった。
車が租界のグラウンドを迂回し、シンガポール道に入ったところで小丁が突然叫んだ。
「ちょっと停めて。私はここで下りるわ。朱家の三番目と五番目のお嬢様が今日、北京から車で来るのよ。なんでも、フランスの有名デザイナーが手がけたイブニングドレスを持ってくるらしいから、ちょっと探りを入れてこなくちゃ。写真でも撮れるといいんだけどね。」朱家の姉妹は前財政総長の令嬢で、社交界では花形の存在であった。
小丁は飛び下りていったが、すぐにまた駆け戻ってきて言った。
「危うく忘れるところだったわ。これ、あなたがほしがってた秘密の資料。でも、あまり真に受けないほうがいいわ。程さんは大事なお宝なんだから、見捨てちゃダメよ。」マニラ紙の大きな封筒を皮のバッグから引っ張り出して車の座席に投げ、小丁は朱家の邸宅の門に駆け込んでいった。バッグが彼女の膝のあたりでボンボンと跳ねて音をたて、門番が深々と頭を下げて礼をした。封筒には小丁が大げさに「汚職者の罪状」と書き記してあった。
玉婕が新聞社に入っていくと、ちょうど「ブルジョア・モーニング」の編集長・郝大為(ハオ・ダーウェイ)にバッタリ出くわした。
「ハロー!」郝大為は派手な水玉模様の蝶ネクタイをゆるめ、袖を肘までたくし上げ、諸手を挙げて、入ってきたばかりの玉婕に声をかけた。「夢にまで見る我が君よ。慕い続けて二十年。君の憂い顔、君のほほえみは僕の心の琴線をかき鳴らす美しき指だ。君の……」
郝大為は三十歳に届かない年齢だ。彼が主催する新聞は新興中産階級の代弁者と銘打っているのだが、思いの外、富裕層の人々により愛読され、広告収入と定期購読数は実に誇らしいものであり、それにより、北京・天津の社交界における彼の前途は洋々たるものであった。
いつも新聞社にやってくるたびに、玉婕の縮こまっていた心はフッと緩んでくる。十数人の若い人たちが活気あふれる雰囲気を作りだしており、彼らは玉婕に向かって軽く会釈をしたり手を振ったりして、また仕事に没頭していくが、その姿から見えてくるのは人生の価値と意義である。
私は毎日ここにいたいの、たとえ生活に困ることがあってもかまわない。玉婕はため息をつくと、郝大為の半ば悪ふざけの冗談を無視して、例の「汚職者の罪状」を開けた。
それはイギリス租界工部局秘密文書の写しで、上部にメモがはさんであり、走り書きの乱れた文字がある――閲覧後はすぐに返却すべし。写真は不可。それはきっと小丁のあのスコットランド人の恋人が書いたものに違いない。彼は工部局の書記官であり、「渤海の漁師」という中国式の呼び名を持っていた。
資料はすべてタイプされた公文書であり、この種の英文を読むのは玉婕には難しいことではなかった。彼女は素早く文書のページをめくり程君石(チョン・ジュンシ-)に関する記述を探した。君石が買弁をしている華倫洋行はドイツ商社らしい倹約の伝統を受け継ぎ、外見の構えはさほど大きくはないが資金は潤沢である。それに加えて君石の優れた営業手腕もあり、取り引きの規模は極めて大きく、全国各地の軍閥の手にはみな、彼が仲買を行ったヨーロッパ製の兵器が行き渡っていた。
いわゆる汚職事件が発生したのは去年、東北が青天白日旗を掲げ国民政府への服属を表明する2か月前のことである。二十機のイタリア製戦闘機はもともと北伐軍から受注して買い付け、蒋介石と懇意の仲介商社とメインバンクを通じて成立した取り引きだった。ところが、国民革命軍が1928年十月に北京・天津の両都市を陥落させて、北伐が思いのほか順調に進展し、まもなく北伐の大事業が成ると見るや、国民政府はこの取り引きに後悔の念を生じ、支払いにも難色を示した。
当時、戦闘機を輸送する貨物船はすでにマラッカ海峡を通過しており、船が上海港に着けば、君石は即刻代金を荷主に支払わねばならない。この窮地に直面して、彼は船に打電して行き先を旅順港に変更させ、ちょうど父親の張作霖の葬儀を執り行っていた張学良に戦闘機を売った。というのも、日本人はこれまで奉天軍に銃や大砲を売るだけで、飛行機は提供しなかったため、自軍の空軍を創設するために、張学良はすこぶる気前よく代金を支払ってくれた。
普通の状況であれば、この事は小さな違約に過ぎないわけだが、イギリスと日本の中国における関係が緊張している今、程君石が親英の蒋介石が注文した兵器を親日の奉天軍閥に転売したということは、「利敵行為」の罪名を着せられても無理はなかった。しかし、天津は自由港であり、誰しも商売で利益を得ているため時の政治的立場とは無関係である。だから、工部局が君石の行為を「利敵行為」と断罪することは人々の指示を得られないのだが、反面、もし彼を契約違反として訴え罰金を科すだけでは君石の敵を満足させられない。そこで、ある人がこのような策、つまり仲介商社の名において君石が業務規約に違反したと訴えることを思いついたのである。それが汚職罪であり、もし罪名が定まれば、君石はもはや買弁という商売ができなくなるわけだ。
玉婕は、一連の事件を陰で操っているのが、まさに彼女の大学時代の演劇科の教授で現在のイギリス駐天津総領事のトニー・ガブリンであることをとっくに知っていた。玉婕は本来、ガブリンの一番お気に入りの学生である。彼女がバスケットボールをしていてリハーサルを忘れてしまい老教授を激怒させるようなことがあっても、彼はやはり玉婕をかわいがっていた。イギリス人のストレートな性格を彼女はとても好きだった。
もし彼女が直接トニー・ガブリンのところに出向き、この厄介な事件を解決できれば、この数年で彼女が君石から受けた借りを返すことができるに違いなく、別れるときに何のわだかまりもないだろう。自尊心を持って生きるからには、誰に対してもこれっぽちの借りがあってはならなかった。このような考え方は愚かかもしれないが、気高いものであり、彼女はそうすることによって自分を取り戻すことができるのだった。ただ、イギリス人は愚直で融通が利かず、トニーの性格も楡の木の節のように堅くて頑固だった。だから彼女の計画がトニーの賛同を得られるかどうか予測するすべはなく、心中の不安は拭いようもなかった。