11月28日(火)に中国作家代表団が来日に伴い、当校を訪れ授業を見学されました。また短い時間ではありましたが、学院生及び講師の先生方との交流会に参加していただき、様々な質問にご回答頂きました。ここで主に学生と作家の間で行われたQ&Aを紹介します。
参加メンバー(敬称略)
代表団:劉震雲(団長) 李洱(李栄飛) 孫恵芬 楊宏科 張悦然 李錦琦
日本側:横川伸 学院長 ペンクラブ代表を兼ねて樋口先生 学院講師 本科研究科 本科2年生 別科 日本語科生
劉震雲:今日は日中学院を訪問できて非常に嬉しいです。みなさん中国語で大丈夫ですよね?先ほど学院長先生に日中学院の歴史を紹介していただきました。すでに70年近い歴史があるようですね。70年の間に中国人が日本語を学ぶにしろ、日本人が中国語を学ぶにしろ、いずれにしろ非常に大きな架け橋の役割を果たしてきたのだと思います。言葉以外に、日中の文化の差異や、歴史、風俗習慣などを学んでいると思います。先ほど見学したクラスでは中国語で俳句を作っていました。(中略)日中国家間には多くの波風がありましたが、日中学院はこんなにも長い歴史をもち、現在までこうして存続し続け、学生の皆さんが非常に熱心なことがわかりました。中国語は学びにくい言語です。日本語も学びにくいです。日中学院ではこの二つの難しい言語をずっとやっておられるのは非常に素晴らしいと思います。では交流として、みなさんから何か質問があればどうぞ。
研究科生:日本を舞台にした作品を書いたことはありますか?
李 洱:あります。まだ日本語版はありませんが、第二次大戦のころの話で、共産党にも国民党にも属さず、抗日に臨み、結果、共産党からも国民党からも、日本からも命を狙われるという話です。政治の力から離れて個人が世界に対して判断力を持つということは非常に難しいことだというのは我々のテーマですよね。
孫恵芬:私の《燕子东南飞》という作品ではある母親と息子の話ですが、戦争の際に母親が日本人に乱暴されてできた子供がその息子で、そのせいで母親は故郷に帰れず、ずっと故郷を想い続け、死に瀕してやっと帰省を果たしますが、死に際に息子の出生を息子自身に告げ、家に入るのを待たずして亡くなります。その後息子は自殺してしまうという話です。
研究科生:現在の中国における最も大きな社会問題はなんですか?
楊宏科:それは庶民の幸福、幸せな生活を送ること、国民の生活の問題です。
劉震雲:その通りです。人々は幸せな生活を送りたいのですが、その暮らしは大変なのです。現在北京では、北京に出稼ぎに来ている地方労働者を追い出そうとしていますが、いま北京は非常に寒い時期です。さらに彼らは北京ですでに5年、10年、20年と生活し、すでに家があり、家庭があり、日用品などもあるわけです。ですから数日内に出て行けと言われても大変なわけです。
お金のことでも、例えば14人家族で10元の財産をもつ家と2人家族で9元の財産をもつ家があると、みな10元が金持ちだと言いますが、しかし実際そうではありませんよね?しかし世界的にみなこのように誤解しているのです。また東京と北京ではそれほど差がないと思いますが、日本の田舎と中国の田舎の開きは少なくとも50年はあると思います。全体像もひとつの真実ですが、隅っこの方も一つの真実で、場合によっては隅っこのディテールにおける真実のほうが全体の真実より、もっと真実だといえると思うのです。
研究科生:ネット小説についてどう思われますか?
張悦然:中国のネット小説はかなり早くから定着したと思われます。多くは通俗小説の範疇にあり、比較的多くの読者、特に若い読者をもち、一定程度の読者を有すると、ほかの方面の発展性があるということで、別の媒体、主に映画やテレビドラマ、アニメになるという傾向があります。ネット小説について、あまり詳しくは理解していませんが、われわれ伝統的な文学の創作方法とはかなり異なると言えます。
研究科生:小説を書く際に最も難しいことはなんですか?
李 洱:私にとっては小説を書く事自体が非常に難しかったりしますが。私が思うに、自分の言葉を書くというのが難しいです。現代中国語は使用されてからその歴史がまだ短いのです。つまり1949年から中国人は一種類の言葉、同じ言葉を使いはじめ、それにより中国の文化が統一され、このプロセスの中で作家の言葉も同一化していくわけです。作家のこの世におけるその存在価値は自分の言葉を開発することにあると思うのですが、大きく統一された言葉、全体の言葉の中から、自分の言葉をつまみ出し、取り出していくそのプロセス、それはあがきのプロセスですが、これはとても大変なことだと思うのです。日本とはそのへんが異なるのではないでしょうか。
研究科生:なぜ作家になったのですか?
孫恵芬:小説はすべて自分の体験、感覚から言葉を取り出していくものだと思うのですが、私の場合は子供の頃の体験がとても多いのです。私は大家族の中で育ったのですが、その中で私の母が祖母からあるいは叔母たちから受ける軋轢、抑圧というものを母の視線を通して小説にしています。
研究科生:日本の作家の作品を読んだことはありますか?
楊宏科:私は2000年に来日したことがあります。来日前には、ノーベル賞を取った川端康成の本はたくさん買って読みましたが、最も偉大な作家だと思っていました。来日後は、日本の友人が夏目漱石は素晴らしいと言っていましたので、翻訳された本ですが全部読みました。それから学者ですが福沢諭吉です。大学のころに二人の作家から影響を受けました。一人はカフカです。大谷光瑞のような探検家の書物にも興味があり、ずいぶん読みました。
李 洱:私から一つ質問をしたいのですが、先ほど学生さんから中国のネット小説について質問がありました。日本のネット文学はどのような状況でしょうか?
研究科生:日本にあるネット文学のサイトには、小説家になるサイトがあるのですが、これ以外、私はあまりよく知りません。
李 洱:たくさんの人が作品を投稿して、それから紙の印刷物としての書籍になるのでしょうね。
研究科生:そうですね。
李 洱:それはそんなに隆盛ではないのでしょう?
研究科生:中学生、高校生というような若い人がこの種の本は好きですが、文章のレベルがあまり高くなくて、恋愛とかゲームとかといった内容です。
李 洱:私はネット文学というものは文学におけるカラオケのようなものだと思うので、日本ではどういう状況かを知りたかったのです。
日語科生:まだ作家として駆け出しの頃、多くの書物を読んで書物から知識を得ていましたか、あるいは自身であちこち出歩いてさまざまな見聞を広めていましたか?
張悦然:作家によって異なるだろうとは思うのですが、私は多くの書物を読むことが重要だと思います。私は読書によって得たもの、特に若い頃に読書から、自分の生活以外の経験を得て、大いに助けになると思うのです。私は、あちこち歩いて見聞をするのは難しいと思います。私の観察ですと、中国の多くの作家が、実はあまり旅行が好きではありません。どこに旅行に出かけて
も書けるという人は羨ましいですね。
劉震雲:張さんの言うとおりですね。多くの書物を読むというのは実際2種類の書物があると思います。一つはいわゆる書架に配される書物で、もう一つは生活という書物です。いずれも読むとその知識というのは深く広いものです。例えば川端康成でも、あるいは紅楼夢でも、20代、30代、40代…と読む年齢によって異なります。本自体は変わりませんが、本に対する理解、その本の含蓄への理解が異なるのです。生活も同じでしょう。わかっているようでわかっていない。古今東西、誰もが生活というものをわかっていたら本を書く必要がないのです。ですからい
ずれの書物も重要です。あちこち見聞するというのも生活というこの書物に含まれるのです。
日語科生:私は子供の頃から今までそれほど多くの本を読んだとは言えないのですが、それでも本を読み、映画を見ました。しかし時間の流れとともに忘れてしまいました。読書の意義とは一
体何ですか?
楊宏科:読書の意義は簡単です。一つは自分を道案内してくれるということで、もう一つは自分を発展・開発させてくれるというものです。書物の中では、現実の中ではなれない別の自分を実現させてくれるのです。